【八十神の舞】神々の舞う地、神代市を舞台につむがれる物語。

八十神の舞トップ  > 第七話『メシアとサタン』

2009年08月23日

【Real-Side】第七話『メシアとサタン』

  記録者 凪喪(なぐも) 憂子(ゆうこ)


乙夏の閉じ込められている倉庫の扉が開き、薄暗い室内に朝の光が差し込んだ。
その黄金色の光を背に負い、逆光で真っ黒な人影が二つ、扉を通って乙夏の傍へと歩いてきた。一方は七月、もう一方は咲夜…ではなく〈藤森まりあ〉だった。
朝日の陰になった処に入り、やっと乙夏に確認できた七月は、哀しそうに眉を寄せ、唇をかたく結んでいた。よく見ると、眼は充血し、顔にも赤みがさしている。察するに、どうやら泣いていたようである。乙夏はこの幼なじみが泣いている姿というのがまったく記憶に無い。
「…………なつき…」
「…あ、うん……お待たせ、乙夏。ちゃんと助けに来たわよ」
七月はまりあに目配せし、まりあは渋々頷いて乙夏の身体を拘束している縄をほどきに掛かった。七月には触れることすら出来なかったそれを、彼女は簡単にほどいてゆく。
一夜明けてやっとのことで芋虫状態から解放された乙夏は、ギシギシ痛む身体中の関節をゆっくりと曲げ、時々いてて、などと云いながらやっと地面に直立した。
一度、七月の顔を見る。まだいつもの気丈さを取り戻さない彼女に、ありがとう、と一言言葉を掛けた。七月は返事を声に出さず、頷くだけだ。
それから、余裕の笑みを浮かべるまりあに眼を向ける。あまりにもそっくりだ。咲夜に。一卵性双生児とかの比ではない。姿形だけなら、全く違いは無い。そう、咲夜〈そのもの〉なのだ。
「……藤守…とかいったな、あんた…」
「まりあ、でいいわよ」
嫣然と微笑む彼女は、その先に一言、言葉を紡ぐ。
「私は、この世界に遣わされた〈聖母〉」
実に堂々としていた。朝日の後光を背負い、自ら聖母を名乗る。
「この娘の身体を借りて、ね」
「え……」
〈身体を借りて〉今確かにそう云った。では、藤守まりあとしてこうして立っているその身体は、本当に八百威咲夜のものなのか。
「私がこの世界に遣わされたのはつい、昨日のこと。まだ一日も経過していないのよ。殺された恋人が一夜の間をおいて聖母として復活…素敵で素敵で吐き気のするストーリィでしょう?」
「じゃあ、……咲夜は?」
七月が訊ねた。彼女の眼には少しの希望の光が灯っていたが、それに対するまりあの返答は冷酷だった。
「死んでるに決まってるじゃない。この身体は、一度死んでいたのを私が貰ったの。傷も全て治したわ。かつて別な女の身体だったとしても、私は私。乙夏君、貴方の恋人はもうどこにも居ないのよ」
咲夜の顔で、咲夜の声で、そう云うことを云うのだ。乙夏と七月は打ちのめされた。
「……それじゃあ、貴方の縄もほどいたし、私は用済みね。また逢いましょう。……もっとも、この世界がその時にまだ存在していたらの話だけれど」
意味深な言葉を残し、まりあは倉庫を去って行った。乙夏には、それはこの世界の存在が危うい、と云っているように聞こえた。
茫然としてその背中を見送る彼の脳裏に、いつかの咲夜の声が響いた。
『あたしは物事に執着しないの。だって、失った時に悲しいもの…』
そして、思った。そんな咲夜は例えばこの世界を失う時、悲しまないのだろうか、と。
しばらくして、ひとまず二人はそれぞれの自宅に帰ることにした。最近は急激に色々なことがあって、妙に一日が長く感じる。
二日ぶりに帰った家は、何だか懐かしかった。最後にこの家を出たとき、彼にはまだ彼女とデートの約束をし、朝寝坊をし、慌ただしく出掛ける平穏があったのだ。
たった四八時間前の平穏が、遠い。限りなく遠い。
そんな感慨にふけっていた処に、頭の中で声がした。
『こんにちは! 乙夏君』
何だか少年のような女の声だった。テンションがやたら高い。新しいナビゲーターだと思い、こんにちは、と気の無い返事をした。
『私は凪喪憂子。本来は君のナビは担当じゃないンだけど、ちょっと現実世界が立て込んでてサ。ま、取り敢えずよろしく』
「はあ…」
別なコのナビも並行してるから、ちょっと大変なンだよお、あとで主任と東城に何か奢って貰わなきゃ割りが合わないよネ、などと乙夏にはどうでもいい世間話をする。
『ところで、早速なんだけどサ、君、倉本の云ってたこと、覚えてる?』
「クラモト?………誰?」
聞いた名前のような気はするが、思い出せなかった。
『まあ、名前はいいや。もうあいつが君のナビに介入することは無いと思うし。東城が怒るからネ。この前なんかさア……』
「いいから本題に入ってくれよ…」
この凪喪という女は、どうしても話題が他の方向にずれていってしまうらしい。彼女の話相手は、それを機動修正してやらなければいけないのだろう。
『えっと、房森陽洸君とQZL-BMWLちゃんが神代医大に居るって聞かなかった?』
「…聞いた。でも行く途中で藤守に捕まってたからなあ………すっかり忘れてた」
『じゃあ、これから向かってみてくれる? ついでに君の怪我も診て貰った方がいいよ』
医大の受け付けにあるカレンダーを見て、乙夏は今日がクリスマスであることに気付いた。最悪のクリスマスだ。
陽洸は面会の出来る状況でなく、隣のQZL-BMWLも同様だった。そう云えば、彼女に出された〈問題〉は今だに解けていない。今の今まで〈出題〉されたことすら忘れていた、というのが実際の処だが。
受け付け前の椅子にもたれ、問題を解こうとする。彼女の本名がわかったら、助けてくれる、と彼女は云っていた。……何から?
「…〈クズル・ビメヲル〉……たしかアルファベットで書くんだったなあ…綴りは…」
思い出せない。いくら何でも、口頭で一回きりしか云われていない、しかもあの慌てていた頭で、そこまで覚えていられるはずが無い。読みを覚えていただけでも奇跡だ。
「…あー……クソッ…。えー…クズル、だろ? QだかC…で、Z……」
「Q・Z・L・B・M・W・L」
頭上から、少女の声が降ってきた。
「ああ、どーも……って、え?」
顔をあげた彼の前に、中学生らしき男女が立っていた。豪く異彩を放つ二人だった。
顔がよく似ている。人というよりは可動人形のようである。陶器のように白く滑らかで赤味の無い膚。黒眼がちの大きな眼は長い睫毛にふちどられ、鼻筋が顔を対称に分け、唇は鮮やかに赤かった。眉は吊り気味で濃く、顔全体を引き締めている。
少年は黒髪を長めに刈り、学ランに黒いスニーカー。首に巻いた十字模様のマフラーのみが、その膚と同じく白い。おそらくは神代中学の生徒だろ う。乙夏もそこを出ている。 少女は、肩くらいまでの緩く巻かれた漆黒の髪で、前髪は眉の辺りで切り揃えてある。黒一色の細身のワンピースは、学校法人聖 新学苑の制服だ。細い脚には黒いタイツに同色のブーツ。よく見ると、二人とも黒い手袋をはめていた。
徹底したモノトーンだ。唇の赤のみが有彩色である。整いすぎて、まるで人形だ。
暫時、乙夏は絶句した。
「Q・Z・L・B・M・W・L。彼女の名前がわからなければ、助からないぜ」
「……聖夜に降臨した聖母は、この世に破滅をもたらすわ。彼女に、堕とされた天使のしかばねを渡してはならない」
二つの赤い唇が紡いだのは、乙夏の頭の中に巧く響かない、難解な言葉だった。
「この世界の創世神に、手を出してはならない。天国であり悪魔の巣窟である場所に足を踏み入れてはならない。気を付けるんだね…乙夏=モードニス」
「あっ、おい!」
少年と少女は、くるりと方向を変え、乙夏の前から去って行った。乙夏の呼び止める声に、耳も貸さない。
「………何なんだ…?」
一人とり残された彼には、更に多くの謎が残されてしまった。
彼はまだ、モノクロームの少年少女の言葉が、崩壊の予言であると気付いていなかった。そして、その崩壊の阻止を自分の腕に委ねられていたことにも。

☆   ★   ☆

神代医大を出たモノクロームの二人は、医大の駐車場に向かい、そこで一人の男が、二体の異形の化物と戦っていた。
化物は人間の女性のような形をしていたが、膝より下が無く、背中から翼を生やしていた。一体は片手に両端の尖った槍のようなものを持ち、片手は 腕がまるで〈輪切り〉にされたようになったまま、腕の形を作って宙に浮かんでいた。もう一体は両腕ともに肘から手首までが無く、その先に浮かんだ手は自在 に動くようだった。赤と紫。ヴィヴィッドなボディ・カラーが空中に浮かんでいる。
始めに男に攻撃を仕掛けたのは片腕が〈輪切り〉になっている方で、槍の先端を男に向け、常人の眼には赤い残像となる速度で向かってきた。男は、自分の目前まできた赤い残像に対し、ただ飛び回る虫を払うかのように片手を振った。
すると化物は頭部と胴部を引き離され、地面にどさ、と落ちた。
同時に、もう一体が男に攻撃しようとしていた。
「父なる神の御名において命じます!
〈追放者〉に天使の翼を与え給え!」
少女の声が、高らかに空気を揺らした。
その余韻の消えぬうちに、少年は背の白銀の翼を羽撃かせ、手にした小さなロザリオで残る化物に切り付けた。一回。二回。三回。四回。五回目で化物の身体からは炎が吹き出し、地面へと崩れた。
「やあ、もう用事は済んだのかい。〈ジョフィエル〉に〈ハダーニエル〉」
男は微笑を少年と少女に向けている。少年の背からはもう翼が消えていた。
「パパ!」
少女は、少し拗ねたような声を出し、〈パパ〉と呼んだその男に駆け寄った。
「もう、ちゃんと信(し)濃(の)って呼んでよっ」
「はいはい。信濃」
ゆっくり後から歩いてきた少年が、頭を掻いて唇を尖らせる。
「……やっぱり、強いなあ。父さんは」
「いや、尊(とう)氏(じ)も強くなったよ。私の教えたことを、しっかり身に付けている」
少女の名は、真枝(さなえ)・H=信濃。
少年の名は、真枝・J=尊氏。
そして、男の名は、真枝神曲(しんきょく)。彼こそは、乙夏=モードニスと湊七月が要石でロボットに襲われた時に彼らを救った男である。彼が湊七月と遭遇することがあれば、七月はすぐに気付くだろう。
「救世主が目覚めてから四八時間。聖母が降臨してから二〇時間弱……か」
止めてある真枝神曲の車に乗りながらも、彼らは会話を続ける。
「乙夏=モードニスは自分の使命に気付くかしら」
「おれは〈気付かない〉に一票」
尊氏が軽く手を挙げて云った。
「でも、彼にだって、わたしたちと同じく、〈現実世界〉にナビゲーターが居るはずよ。その人から教えられて気付くのではない? わたし、〈気付く〉に一票」
「どちらにせよ」
運転席の神曲が、エンジンをかけながら話し掛ける。
「この世界の命運は、彼に委ねられたんだ」
しばらく車を走らせた彼らは、やがて彼らが住んでいる〈メゾン・ド・天照(テンショウ)〉というマンションに到着した。彼らの隣人は八百威とい う変わった姓の一家が住んでいる。その家には高校生の娘が居たが、その娘は二日前に出掛けたきり帰って来ていない。(実際にはその娘はすでに殺されている のだが、その身体を利用している者が居るために多くの人間に発見された死体は姿を消し、今も別な者の精神を伴って歩き回っているのである。)
娘を心配した両親は警察に捜索願いも出したが、手がかりは掴めていない。隣家のドアの向こうに心配と不安を感じ取りながら、そこを通過し、自宅のドアの鍵を開け、中に入……ろうとした彼らの頭上を、一羽の鳥が飛び、部屋の中から出ていった。
なぜここに鳥が、という刹那の疑問。しかしそれは次の瞬間、答えに変わる。そしてその答えを受けて、彼はもう動いていた。
十字架の翼に刺さった鳥が、彼の足許に落下するまで、一五秒も掛からなかった。
改めて部屋に入り、その鳥をソファの上に放り投げた。鳥は見る間に、黒服の男の姿となる。十字架は腕に刺さったままだ。
「……成程。君は一度複写した姿はストックしておけるんだな。鳥になって拘束から抜け出したわけだ」
神曲は云いながらその〈拘束〉…手足と胴を縛っていた頑丈な鎖を一瞥した。
「…しかし甘かったな。出入口は、内からも外からも私か信濃か尊氏が開けなければ開けられないようになっている」
「………貴様等…一体何者だ」
「何の変哲もない真枝一家さ。君こそ、おかしな能力があるようだが、何者だい」
状況は、依然神曲有利にある。彼は男を、笑みを湛えた双眸で見つめるのみだ。
「私は…〈ゴーレム〉テストタイプA-rn……。PPT社アンドロイドの失敗作だ」
黒服の〈失敗作〉はそう云ったあと少し逡巡し、それから意を決したように続けた。
「頼みがある。私を…救けてほしい」

☆   ★   ☆

少々時を遡る。
DWゲームナビゲーター、凪喪憂子が、被験者、乙夏=モードニスにアクセスする前。現実世界、PPT社DWナビゲーションルームでのことである。
DWシステム主任、新堂真の前に、その部下の御名神あずみが小さくなって立っている。時々、上目遣いでちらっと新堂の顔色を窺っているが、対す る男の表情は崩れない。液体酸素のごとき(氷のごとき、では足りないのである)冷ややかな表情をしているが、その胸中に鉄が一瞬で蒸発するような(勿論、 水の蒸発するような温度では足りない)激しい怒りが詰まっているのは、その場に居た何者にも明らかであった。
「なんてことをしてくれたんだ……」
絞りだすような声だった。状況が最悪であるということが、その一言で全員に知れた。
「〈サタン〉の死をこんなに早めるなんて」
「おい、新堂。どういうことだ?」
堪りかねた東城神詞が、新堂の纏う憤怒をも怖れず訊ねた。その声に、新堂は少し冷静さを取り戻した。
「………あずみがDWゲーム内に送り込んだのは、〈サタン〉…あずみが開発した、一種のアンドロイドだ。人工物とは思えない精密さを持っている。 その為、サタンは〈天然エンジェルタイプ〉と呼ばれている。本当に機械が自然に出来る訳は無いから、これはあくまで〈神の手による被創造物としか思えな い〉という比喩だ。そこが、問題なんだ」
あずみは、そこに問題点を見付けられず、畏怖するように新堂を見て、首を傾げた。
「あずみじゃなく、他の〈誰か〉が造ったのかも知れない」
新堂は〈誰か〉と曖昧な云い方をしたが、それが〈誰〉を示唆しているか、東城には明白だった。その名を口にする。
「ミサヲか……」
「ミサヲって、あの藤守ミサヲ?」
彼女がDWゲーム内にハッキングしているという事実を知らない人間までも、その名を聞いてどよめいた。彼女は失踪以前から、優秀な頭脳と端麗な 容姿を持ちながら、変人の集まりである技術開発部三課をまとめあげるということで社内では有名だった。東城も彼女の許に居た一人である。
その技術開発部三課が一年前にPPT社から消え、それと同時に彼女も消息を断った。……そして今、彼女はどこからかDWゲームに介入している。
「……あずみは、何らかの方法で、自分がサタンを開発したと思い込まされていたんだ。こんなことを云うのは悪いが…あれはあずみに造れるレベルの ものじゃない。勿論、俺にも、東城にも、奈那美さんにも……。天才でもない限り…彼女、藤守ミサヲでもない限り……あの〈サタン〉は造れない」
その言葉によって室内を覆った沈黙を破ったのは、倉本奈那美だった。
「…ですが、新堂さん。〈サタン〉は、あの藤守ミサヲ女史の造ったのにしては、弱すぎはしませんか? 確かに、DWゲーム内で〈サタン〉は高い戦 闘能力を示していました。しかし一晩中動き続けたとはいえ……いいえ、それだけで彼女は既に使いものにならなくなってしまった……おかしいと思います」
「そう。〈サタン〉は元から〈弱く〉造られていた。ゲームの世界を終わらせる為に」
室内が騒ついた。皆、新堂の言葉の意味が判らないのだ。
代表して、おそるおそる御名神が訊ねた。
「ま、真ぉ。どうゆーこと?
〈サタン〉が弱いと…DWゲームの世界は滅びるの?」
「…〈SP(サタンプロジェクト)〉という計画がある。DWゲームの〈世界〉を終わらせるという目的で動いている計画だ。そしてその対となるもの として、〈MP(メシアプロジェクト)〉がある。皆には云っていなかったが、俺達はその〈MP〉に属している。知っての通り〈世界〉を守る目的で動いてい る。実は、〈DWゲーム〉は今までずっと二つのプロジェクトによって動いていたんだ」
「……どうして、〈滅ぼす〉計画が必要なんだ?」
東城が新堂の傍まで歩み寄って問うと、新堂は少し言葉に詰まり、それから答えた。
「………〈ゲーム〉だからだ。そもそもなぜこの〈地球内地球環境適応システム〉…つまりDWのテストプレーをしているか、といったら、やがて地球 上の全ての人間が、このDWに〈移住〉するという目的の為だ。だから、このテストプレーが無事に終わり、全人類が〈移住〉することになった時、そのDWに は設定されたストーリーは無い。こうして今生活しているのと同じように生きていくはずだ。あくまでそれが目的であり、〈第二の地球〉とも云うべきDWなん だから、〈日常的〉に生きていかれなくては意味が無い。今回ストーリーがあるのは、テストプレーに便乗した、設計者のお遊びさ」
「そうか………じゃあ」
東城は、更に新堂に詰め寄った。
「………〈乙夏=モードニス〉は、どうして〈新堂真〉なんだ?」
黙って、新堂は睨むような東城の凝視を受ける。
「イトデンがナビゲートしてる二人の真枝だって、〈東城神詞〉だ。QZL-BMWLや八百威咲夜は、〈飛鳥(あすか)弥生(やよい)〉になる」
イトデン、というのは凪喪憂子の綽名である。東城以外に呼ぶ者は居ないが。凪喪は、犬猿の仲である〈新堂の恋人〉の飛鳥弥生と、倉本奈那美の共 通の友人で、飛鳥と倉本の滅多に無い会話は、全て凪喪を介して行なわれる。その様子が糸電話の糸みたいだというので、東城はイトデンと呼んでいるのだ。
「この〈DWシステム〉の関係者の名が、暗号で被験者の名前にまで組み込まれている。被験者というからには、現実世界からゲームの世界に行って いる…元はこっちの世界の人間のはずだ。だが、これじゃあ…新堂、〈乙夏=モードニス〉なんて人間は、この世に存在してないってことじゃないのか?」
「…………」
「これじゃあ〈移住〉でも何でもないじゃねーか。何の為に、俺達はここで、造られた人間のナビゲートなんかをしてるんだ?」
東城の追及に、遂に新堂は重々しく口を開いた。
「〈移住〉の為の計画だと、皆に伝えてある。君達だけじゃない。上の者にも、だ」
もう、誰も言葉を発する者は居ない。ただ新堂の声が響くのみである。
「……これから云うことは、本当のことだ。今まで騙していて済まなかった。だが、これが〈SP〉との契約だったんだ。君達の中の誰かがこの〈ゲー ム〉の真実に気付くまで、何も話さないという…。そして君達は気付き、真実を知ることになる。よく聞いてくれ。〈SP〉の構成メンバーは、あの藤守ミサヲ 女史ただ一人。対してこちら…〈MP〉は…ここに居る全員…いや、この世界で生きる殆どの人間がそうだと云える」
東城の胸中には、いくら藤森が天才であるとはいえ世界中を敵に回して何をしようというのか、という新たな疑問が浮上していた。「〈SP〉と 〈MP〉…双方はさっき云ったように対立し、ゲーム世界の存亡をかけている。だが、それだけじゃない。ゲーム世界の存亡は……現実世界の存亡にかかわる」
「何だと?」
「SPが…藤森ミサヲが勝てば、〈ノアの大洪水〉が再来するのさ」
〈ノアの大洪水〉…それは、誰もが知っている有名な旧約聖書のエピソードの一つである。神が穢れた人間世界を嘆き、もう一度世界を創り直すために 人間の〈ノア〉とその一家、そして全ての動物のつがいを方舟に乗せて、洪水を起こして世界の全てを壊し、彼らのみを洪水から守ったのである。
「世界が一度壊されるんだ。新しい世界を創るために」
「……どうやって? いくらなんでも、核爆弾、とか云わないよねえ…」
そう問う御名神も真剣な面持ちである。
「世界中のコンピュータに、藤森の造ったウィルスが侵入する。詳しくは判らないが…とにかく彼女は、〈それ〉で新しい世界を創る気らしいんだ」
「…あの女……アタマ良すぎて馬鹿になったみてえだなあ、オイ。…………畜生」
東城が、そう云ってぎり、と歯軋りした。 御名神の眼に、ディスプレイを睨む彼の形相は、酷く憤っているように、そして、少しだけ泣きそうに見えた。

(第七話『メシアとサタン』了)

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【Real-Side】第六話『夜明け前』

 記録者 妙崎(みょうざき) 建(たつる)


「とにかく…、この拘束を何とかしないといけないんだよね」
「いつまでも縛られっ放しでは、彼がかわいそうです」
七月とサタンは、哀れな乙夏の姿を見て、口々に話す。

『そうだねぇ~、じゃ、二人とも、捜しに行ってくれるかなぁ?』

ナビのあずみは、のんきに二人を送り出そうとするが、
「そんな簡単に言うけど、捜すあてはあるの?」
と、七月に食ってかかられる。図星をつかれたあずみは、

『うーん、こっちでもサーチしてみるけどぉー…』

と、曖昧に答えるが。
「とりあえず、悩んでいても仕方ないでしょう。まずは、動かないと始まりません。この術を施した主の顔は、七月、分かりますか?」
「…。」
サタンに訊ねられ、七月は、先程乙夏が、「咲夜がー…」などと口走っていたのを思い出す。しかし、自分の親友がこんな酷いことをするはずがない、と、信じがたい気持ちの方が強かったので、黙ってしまったのだった。
すると、話す気力もない位弱りきった声で、乙夏が「彼女」について口を開いた。
「藤守…マリア、とか言った…あいつ…。咲夜に似ていたけど…、別人だった…。でも、俺には…本当にそうなのかどうか、よく分からない…」
むしろ、分かりたくない、という気持ちの方が強くて、最後の方は口ごもった。しかしそれを聞いたサタンが、
「まずは、彼女を捜しましょう。真実かどうかは、それから知ればいいことです」
と、乙夏と七月を交互に見て言う。

『じゃぁ、こっちでも出来る限りのサポートはするから、行ってきてくれるかなぁ?』

「了解です。では、行きましょう、七月」
「何でもいいが…早く何とかしてくれ…」
乙夏は、もはやお前等しか頼れる人はいない…と言わんばかりの、か細い声で、二人に懇願する。
「分かったわよ。大人しく待ってなさい」

『じゃ、頼んだよ~』

「行ってきますね」
七月とサタンは、急ぎ足で倉庫を出る。やがて、二人の足音は、夜の静寂に吸い込まれていった。その足音すら遠くに聞こえるほど、乙夏の意識は薄れていた。そんな混濁の中で、思い出すのは、「咲夜に似た女」のこと。
あれは、「天使の顔をした悪魔」だった。もっとも、天使か悪魔なんて、もう乙夏にはどうでもいいことだった。自分が何をしているのか…という事実の認識さえも、どうでもよくなっていた。
考えを巡らせる気力も無くなり、ついに乙夏は意識を失った…。


一方、藤守マリアを捜しに出た七月とサタンだったが、五百メートルほど歩いたところで、突然七月がサタンに、
「ねぇ、さっきから思ってたんだけど、何か、〈サタン〉っての、呼びにくいのよね。だから、何か別の名前をあなたにつけてあげたいんだけど…」
「違う…呼び方ですか?」
「えぇ、そう」
「構わないですよ。呼びやすいように呼んで頂ければ」
半ば思い付きとも受け取れる七月の提案にも、サタンは快く応じる。
「そうねぇ…〈エンジェルナンバー0〉…ゼロ、だからー…、零〈リン〉、ってのはどう?」
「リン…ですか?」
「〈零(れい)〉の中国語読みなんだけどね」
不思議そうな顔をするサタンに、七月が解説を加えると、納得したように、
「分かりました」
と言って、サタン…もとい、〈リン〉は、何やら唱え始めた。すると、リンの体の中から、小さく唸るような機械音が鳴り、赤い瞳が更に赤く光った。
「名前認識コード、変更…。エンジェルタイプ0、エンジェルナンバー0〈サタン〉より、〈リン〉に変更…完了」
それを見て七月は、リンが、「人間ではない」ことを改めて思い知るのだった。
「大丈夫です、行きましょう」
リンに背中を押され、再び七月達は歩き出した。



一方、PPT社。
七月とリンを見送ったあずみは、お茶でも飲もうかなー、と、一旦メインルームからセカンドルームへ移動する。
部屋の隅にあるコーヒーメーカーに手をかけ、コーヒーを淹れようとすると。
「いいんですかね?勝手にあんなことして」
「わあっ!!!」
突然背後から声がして、あずみは持っていたコーヒーカップを落としそうになる。
一通り驚き終わって、後ろを向くと。
「あら、天才少年君。いたの?」
「その呼び方はやめて下さいって、何度言ったら分かるんですか?」
声の主は、弱冠十六歳にして、PPT社に研究員として出入りしている、〈妙崎(みょうざき) 建(たつる)〉であった。
知能指数200を超え、将来は大学に「飛び級入学」か、はては外国の大学に入学か、などと騒がれている、所謂「天才少年」である。
しかし、本人はそういった世間の噂はお構いなしに、将来は「AI(人工知能)」の研究をしたいと考えている。現在は普通の高校に在籍しているが、遊びで作ったプログラムがたまたま新堂主任の目に留まり、研究員として、特別にPPT社に出入りを許可されている。
「いいじゃな~い、本当のことなんだから」
自分を「天才少年」と言われることに不満を漏らす建に、あずみはいつものように、のん気に答える。
「それより、いいんですかね?こんなこと新堂主任にばれたらただじゃ済みませんよ?」
「いや~、だからぁ、真がここに戻ってくる前に回収しちゃえば問題ないかな~、なんて思ってさぁ。ホラ、今は非常事態でしょ?とにかくこのゲームの主人公を自由にさせてやらないことには、意味がないっていうかぁ……」
「それはまぁ、そうですけどね」
この「DWゲーム」の主要プレイヤーである乙夏が、あの通り拘束されたままでは、ゲームが進行しないと考えたのだろう。あずみは、コーヒーをすすりながら、セカンドルームのモニターを見やる。
「彼女たちは、何を追っているんですか?」
この部屋に入った時には、すでに七月とリンが行動し始めたところだったので、その前までの流れを何も把握していなかった建は、あずみに問うた。
「乙夏=モードニスを拘束した奴を探してるんだよ。何でも、「マリア=藤守」とか言ったかなぁ。どうやら〈術〉の使い手らしくってぇ、彼女の「念」で拘束されてるんだよ」
「〈術〉ですか?そんなもの使える奴、このゲームの中にいましたか?」
「そぉなんだ。だから困ってるんだよ。彼女の登場自体、予想外だったしね」
七月とリンが動き始めてから、あずみも、藤守マリアを追跡しようと試みたのだが、何の手がかりも得られず、途方に暮れていたところだったのだ。
「予想もできないことが起こるのは今に始まったことじゃないけど、なんだか腑に落ちないんだよねぇ」
「うーん、どういうことなんですかねぇ」
やっぱりよく分からない、といった様子で、建までもが考え込む。



一方、七月とリンは。
ほうぼう捜し回ってみたものの、藤守マリアらしき人間の足跡は全く掴めなかった。
「…疲れた…。何で乙夏なんかのためにこんなに苦労しなくちゃいけないのよ?」
「大丈夫ですか?少し休みましょうか?」
ずっと歩き回っていたせいで、疲れて愚痴をこぼす七月に、リンが声をかける。
「ええ……有難う」
リンに促されて、近くの公園のベンチに座り込む。
「さて、これからどうしようねぇ」
「そうですね……目ぼしいところはほぼ廻りましたし…。でも、ここからそう遠くへは行っていないと思います」
「どうして?そんなことが分かるの?」
「…気配が、するんですよ。何となくなんですけどね。乙夏さんにかけられていた〈術〉と同じような…」
リンがここで休もうといったのは、その気配を何となく感じ取ったからではないか、と七月は気づく。
「でも、確かではないです。その〈気〉を辿っていけば辿り着けるのかもしれないですが……」
「なんだ、まだ確実ってわけじゃないのね」
期待のすぐ後は落胆、そんなケースを繰り返してばっかりだなぁ、と改めて七月は肩を落とす。
「ねーぇ、そっちで何か分かったこととかないのー?」
突然、七月がナビゲーターのあずみに向かって叫んだ。

「あっ、もしかして、うちらのこと!?」
のほほんとモニターを見ていたあずみは、自分が呼ばれていることにやっと気づき、メインルームに戻った。建も後についていく。

『ごめんねぇー。こっちでも色々捜してみたんだけど、まだ何も分からないんだよぉ』

メインルームから、あずみは七月達に応える。
「そうなの?そっちからは、捜すことってできな
いの?」

『この世界に入り込んだ人間っていうのは、大体こっちの〈探知センサー〉で探せるもんなんだけど、彼女の場合、乙夏のところに来てからの痕跡が、全く掴めないんだ』

「じゃぁ、捜しようがないじゃん!一体どうしろっていうのよ!?」
期待外れな回答に、七月はまたもやあずみに食ってかかる。困ったあずみは、

『そんなこと言われたってぇ…』

と頭を抱える。

「センサーに、引っかからないってことですか?」
あずみと七月のやりとりを聞いていた建は、ふと、そんな疑問を投げ掛ける。
「そういうことになるねぇ」

「とにかく地道に捜すしかないようですね」
落胆する七月に、リンは元気付けるように言うが、それが果てしもなく困難なことだと、リン自身も感じていた。全く手掛かりがないのでは、この広い神代町内を歩き回ったところで、結局は見つかりっこないだろう。

「故意に消された、ということはないですか?」
「!!」
建の言葉に、「もしかしたら」の可能性を賭けて、七月たちにこう言った。

『あのさぁ、七月ちゃ~ん。もしかしたら、彼女の足跡は何かの力で故意に消されてるかもしれないんだよ。それを調べてみるから、もう少しだけ、捜してみてくれるかなぁ?』

「じゃ、もしかしたらそっちで何か分かるかもってこと?」

『あまり期待はしない方がいいけどね~』

「分かりました。では、何かそちらの情報が入ったらお願いします。七月、行きましょう」
リンが七月の背中を押すと、七月は仕方なく歩き出す。

「あんなこと言って、本当に大丈夫なんですか?」
いささか無責任そうなあずみの発言に、建は怪訝そうに聞くが。
「でも、ヒントをくれたのは君だよ?ここはゲームの中だからね。誰かが「故意に」自分の足跡を消すことなんて、難しくないと思う」
一応このゲームの基礎知識を新堂から聞いていたあずみは、この中で起こっていることが、「現実」でありまた「仮想」世界であること位は、わきまえているつもりだった。
「〈誰か〉が故意に足跡を消したということは…見つかるとまずいから、とか、この世界とは違うものが入り込んだから、ここのセンサーに引っ掛からないとか…。色々考えられますよね」
建が色々と推量を働かせる。
「見つかるとまずいところに、何でわざわざ入り込むのさ?!もしそうだとしたら、不法侵入だよ!?」
「…ハッキング、ってことですかね」
「…ハッキング!?」
その言葉に、あずみははっとした。ついさっき、「藤守ミサヲ」が、このDW世界にハッキングして侵入している、という情報を、自ら新堂や東城に報告したばかりだった。
もしかして、もしかすると…「藤守マリア」は、「藤守ミサヲ」にナビゲートされ、この世界に入り込んだ、という仮定が出来る。
「そういうことだったのか…」
あずみは表情を曇らせる。そこへ建が、
「そうだとすれば、ハッキング先を追跡すれば、侵入者は見つかるはずですね。やってみますか?」
と、当たり前の提案をする。
「…そ~だねぇ~…やってみようかぁ~…」
あまり乗り気でないあずみと、プログラムを見られる、という期待でわくわくしている建が、コンソールの前の椅子に座り、数々のモニターとキーボードに向かった。
「はぁぁ~膨大な量だねこりゃ~」
やってみよう、とは言ったものの、見ただけでその意気込みが挫けそうな、あずみであった。



「あ…あれ…」
神代町の繁華街に差しかかったとき。七月が、遠くに「見覚えのあるような」人影を見つけた。
「さく…や…?」
自分の大親友、「八百威咲夜」に似た影を、偶然発見したのだった。
「まさか…」
自分の目の前で惨い姿を晒されていた人間と同じ人間が、そこにいる、というのは、全く信じがたい事実だった。
「…乙夏が言ってた…咲夜に似た女だと…」
動揺して、言葉が上手く繋がらない。七月は、半ば混乱したまま、
「リン…あの女を…追って…」
と、12~3m程離れた女性を指さした。
「分かりました。七月は、後からついて来て下さい。私が先に行きます」
とだけ言ってリンは、その場所から「目に見えない速さ」で彼女の近くまで移動した。
「すご…」
一瞬で目の前から消えたリンを、呆気に取られながら見送り、次にリンの姿を確認出来た地点まで、自分も移動することにした。



一方、膨大な量のプログラム画面を前に、あずみはほとんど匙を投げかけていた。
「こんなのどうやって解析しろっていうの~!?」
「通常のプログラムと違う箇所を探し出せばいいんですよ」
「それは分かってるけどぉ~!なんでこんなに難解なのさってことだよぉ~!!」
建は楽しそうに、沢山のプログラム画面を次々と追っている。
そして。
「…ここ、変ですね」
「?どこどこ?」
建がふと、あるプログラムの画面をあずみに見せる。
「このコンピューターでは認識されないパターンが入り混じってるんですよ。誰かに変えられたような…」
「…あ…本当だ…こんなの、見たことない」
そこには、見たこともないような言語パターンが巧妙に隠されていたのだった。
「こんなことが出来る人間なんて、そうそういないですよね」
「でも、あの人なら、出来るはずだよ…」
元PPT社「技術開発部三課」に所属していた、藤守ミサヲなら…
そうは思っても、確証がまだない。もし本当に「藤守マリアが、ミサヲにナビゲートされている」ならば、その証拠を、新堂や東城に見せる必要があるからだ。
「もう少し調べてみないとね。たっくん、付き合う気、ある?」
「今度はその呼び方ですか?いい加減にして下さいよ。…まぁ、付き合いますよ」
「ありがとぉ~!」
自分を“たっくん”と呼ばれ、少々気分を損ねたようだったが、建は、もう少しだけあずみに協力してやろうと思っていた。



藤守マリア、らしき影を見つけたリンは、そろそろと接近する。
一方のマリアも、何者かの気配を感じ取り、振り向く。
「…見つけましたよ」
近くにいる七月に、リンは小声で教える。
「あれ…やっぱり…」
乙夏が、咲夜に似た女だ、と言っていた意味がやっと分かった。目の前にいる女性が、咲夜に「似た」というより、咲夜の姿「そのもの」だったのだ。
「間違いないですね。乙夏さんにかけられた〈術〉の匂いがします」
リンがそう言い終わるか終わらないかのうちに。七月は、藤守マリアに近づき、
「ちょっと。あんたなんでしょ?乙夏を縛り付けた上、私にあんなことしてくれたのは」
と、ケンカ腰に言い放つ。
「あら、七月ちゃん」
そんな七月を気にも留めず、藤守マリアは、楽しそうに七月とリンの方を視る。
「乙夏を放してやりなさい!いくら何でも、あれは可哀想でしょう?」
「さぁ。それにしても、よく私を探し当てられたわね。賞賛に値するわ」
「そりゃぁもう大変だったわよ!」
七月にとって、自分の親友に似た人間に、そこまで酷い言葉を浴びせるというのも、いささか違和感があったものの、今目の前に居る人間は、「咲夜」とは別の人間だ、と割り切るしかなかった。
「私を捕まえられたらね。もっとも、“普通の人間”じゃ無理でしょうけど」
「何ですってぇ!?」
すっかりからかわれた形になった七月は、逆上して藤守マリアに掴みかからんという勢いで彼女に近づいた。
「人にあんなことしといて、お詫びの言葉もないなんて、随分な話よね」
「あぁ、あれね。ちょーっと画(え)的に面白かったから、いたずらしてみたのよ。それにあなた可愛いんだもん」
藤守マリアは全く悪びれる様子もなく、楽しそうに七月に言いのける。それを見てますますムキになる七月を、おちょくらんばかりの口調で。
こいつ、自分の親友だった咲夜に、似ても似つかない性格をしている、と七月は思った。彼女は、やはり「藤守マリア」という全く別の人間だと、自分の中で確定した。
「乙夏を放しなさい!」
「嫌って言ったら?」
「力ずくで引っ張っていく」
「出来るのかしら?」
「私には出来ないけど、この子になら出来るかもね」
と言って七月は後方にいるリンの方を振り返る。
藤守マリアは、尖った耳に赤い瞳と赤い髪、という、一見して“人間”ではない姿のリンを一瞥する。
「ふぅん、この娘ねぇ。確かに」
軽く笑って、次の瞬間。
「じゃ、捕まえてごらんなさい!」
と高々と言って、その場から消えるように後ろへ跳んだ。
「ああっ!」
その人並みならぬ跳躍力に、一瞬驚く七月だったが、慌てて後を追おうとして、
「大丈夫です、七月。私が行きます」
リンに制止される。そして、彼女もまた、一瞬にしてその場から姿を消した。
「ほえー」
続けざまに起こった超人的な現象に、七月は暫く呆気に取られていたが。
藤守マリアを追うのはリンに任せよう、ということにして、
「ちょっとぉ!見つけたわよ!そっちはどうなのよ!?」
と、ナビのあずみに向かって叫ぶ。

「うわぁっと!」
いきなり大声で呼ばれて、びっくりしながらあずみは、七月達の映るモニターの方を注視する。

『あぁ~、見つけたのぉ!?』

本当に見つけられると思っていなかったあずみは、慌てて別のモニターを、自分の見える位置に移動する。そこには、自分が送り込んだリンの姿と、彼女が追っている目標「藤守マリア」の姿があった。
「この子だねぇ~?サタンの追っているのは」
すかさず目標の人物に焦点を当てて、追跡のための〈探知センサー〉を設定しようとする。
しかし、二人の動きがあまりに速すぎて、なかなか焦点が定まらない。リンの姿を追うモニターの端々で、辛うじて藤守マリアの姿を確認出来るだけで、彼女の動きが掴めないのだ。
「えぇ~!?どうしよ~!?速すぎて捕まえられないよぉ~」
「追いかけるのは〈サタン〉に任せておけばいいんです。彼女には、追跡カメラが搭載されていたはずですよ?」
「あっ!そうか~!」
建の一言で、あずみは〈サタン〉もといリンの体に搭載された追跡カメラの映像を映し出そうとして。
「…?…」
待てよ、とあることに気が付いた。
〈サタン〉は自分が開発したもので、この課にいる人間ですらもそのスペックは知らないはずなのに、何故〈部外者〉である建がそんなことを知ってい るのだろう…。疑問に思ったのだが、ここでは必要以上の話は〈機密漏洩〉につながる。そんなことを恐れて、あずみはそれ以上そのことについて口を開かな かった。
一方の建も、言ってしまってから、「しまった」と思っていた。これ以上この〈エンジェルタイプ〉について色々知っていることが分かられたら、自分が〈極秘事項〉の〈サタンプロジェクト〉に関わっていることも感づかれてしまう…。
しかし建の複雑そうな表情の横のあずみは、さっきのことなど気にも留めていないような風だった。この人がこんな人で助かった…と、密かに胸を撫で下ろす建であった。
「はい、追跡カメラの映像、出たよ~」
「どれどれ」
リンが必死で追っている藤守マリアの映像が出た。
「こいつかぁ~!この子の侵入先を辿ってみれば、何か分かるんじゃないかなぁ?」
「そうでしょうね、恐らく」


一方、マリアとリンは。
目にも止まらぬ速さで逃げるマリアを、リンが同等の速さで必死に追いかけている。スピードでは決して劣っていないはずなのに、マリアを捕まえることが出来ないのだ。
マリアは息ひとつ切らさずに、追いかけてくるリンをかわすように逃げる。逃げる、というより、まるで鬼ごっこを楽しんでいるかのようだった。
しかし、マリアは、乙夏が捕まっている倉庫から離れたところにリンを逃そうという魂胆があった。それでリンには気付かれないように遠くへ逃げていたのだった。



一方、取り残された格好となった七月は、
「ちょっとぉ!二人は今何処にいるのさぁ!」
と、ナビのあずみを呼び立てる。

『あ、あぁ~!?そうだったぁ、二人の現在位置確認だね?』

「そうですとも。あの人たちが何処にいるのか分からなければ乙夏のところに連れていきようがないでしょ」

『えーとぉ・・・』

あずみがDW内のマップ画面からリン達の現在位置を確認し、

『今ねぇ~、西の方に向かってるよ。正確な位置を今割り出すから、西の方に向かっててくれる~?』

「はいはい、分かりましたよ」
また当てもなく捜し回るのか、とうんざりしながらも、一生懸命マリアを追いかけてくれているリンのことを思い、とりあえず言われた方角へと歩き出すことにした。



DWの詳しい地図…とあずみが探しているうちに。
建が。
「そろそろヤマ場のようですよ」
と声をかける。
あずみが追跡カメラに目を遣ると。


「…そろそろ観念して下さい…。もう、逃げ場はありませんよ…」
マリアを行き止まりまで追い詰めたリンが、マリアにそう告げる。
「ここまでまぁ、〈あなたにしては〉、よく頑張ったわね」
半ば、いや殆ど嫌味としか聞こえない言葉を、リンに浴びせる。
しかし、言われる理由は分かっていた。リンは自分でも自覚している通り、マリアを追跡するために、自分の能力の限界いっぱいまで力を使ったの で、すでに身体や感覚その他の器官が軋みはじめていたのだった。体からは、きし、きしと機械音が聞き取れるほどになっており、見た目も、煙が立ちのぼる 位、諸器官がショートしているようだった。
「確かに…でも、私は私の責務を果たすまで、こんなところで力尽きるわけにはいきませんから…」
「でも、その体じゃ私にとどめは刺せないわよ?」
「あなたを乙夏さんのところへ引っ張っていくまでは死んでも死にきれません」
リンは既に、自分の最期・・・“使用不能”になるときを覚っているようだった。
「あら、そう。でも、この状況からどうしようっていうんでしょうね?」


『七月ちゃん!急いで!サタン…リンが彼女を追い詰めたんだよ!』
「どこよ!?」
『駅の近くの〈象岩パーキング〉だよ!』
「ならここからそう遠くないね!分かった、すぐ行く!」
七月は、リンが無事でいること、マリアを今度こそ捕まえて乙夏のところに引き摺っていってやろう、という思いで、息を切らしながらも目的地に向かってひたすら走った。



そして。
七月が目的地に着いた時には。
マリアの片腕を掴んだまま力尽きそうになっているリンと、それを冷めた表情で見ているマリアの姿があった。
「彼女…よく頑張ってくれたけど、そろそろ活動限界のようね」
体の至るところから、機械がショートするような音と、白い煙を上げているリンの姿を、七月はもう、直視することが出来なかった。
「七月…私の責務は果たしました。彼女を、乙夏さんのところへ連れて行って下さい」
「分かった…有難う…有難うね、リン」
涙目になりながら、リンをマリアから引き離し、替わりに自分がマリアの腕を思いきり掴んだ。
「さぁ、大人しく私と一緒に来てもらいましょうか」
七月の厳しい表情と、自分の手を掴む強さに、マリアは驚いたような顔をして、黙ってしまった。
「七月…名前…つけてくれて有難う…」
「リン、喋らないで…大丈夫だから!…ねぇ、もういいでしょう!?リンを、回収してあげて!このままじゃ可哀想よ!」


『………』

リンの傷ましい姿を見たあずみ達も、言葉が出なかった。

『分かった、回収するよ』

小さくそれだけ言って、あずみはキーボードに向かい、何やら打ち込みだした…のだが。

突然、大きな警告音とともに、画面が赤く点滅しはじめた。
「な、何!?」
〈システムエラーです。このプログラムは、不正なものとしてリジェクトされました〉
無機質な音声が大音響で流れる。
「や、やばいよ~~!!これじゃ真たちにばれちゃうよ~!!たっく~ん、どうしよ~!?」
「…自分で撒いた種じゃないですか」
慌てうろたえるあずみに、しれっとして答える建。
「おそらく、回収不能ってことでしょうね」


慌てふためくあずみに、さらに追い討ちをかけるように、不幸は続く。
ナビゲーションルームの異常に気付いた新堂が、
「何事だ!?」
と駆けつけてきてしまったのだ。
「………」
何て言い訳しよう……と、あずみはクビ覚悟で新堂の前に立つのだった。


「リン…」
〈回収不能〉となってしまったリンは、ついに力尽き、瞳の赤い光すら失った。
体の全ての機能が停止し、ただの〈人形〉と化したリンのボディはその場に崩れ落ちる。
涙をぼろぼろ流しながら、リンの〈最期〉を看取った七月は、それ以上何も言わず、藤守マリアを引っ張って、乙夏のいる倉庫へと歩き出した。マリアは、険しい表情を崩さない七月に、これ以上抵抗は出来ないな、と思ったのか、七月に引っ張られるままに歩き出す。
気が付くと、東の空がうっすらと明るみはじめていた。
また、〈不安な一日〉が、幕を開ける…。

(第六話『夜明け前』了)

 

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