【八十神の舞】神々の舞う地、神代市を舞台につむがれる物語。

八十神の舞トップ  > 2009年06月

2009年06月04日

第一章 天狗舞『第四話 天狗誕生』

八十神の舞 シェアード・ストームガール


第一章 天狗舞


第四話 天狗誕生

 境内に足を踏み入れたとき、アヤメは気付くべきであった。
 夕闇に飛び回るカラスやようやく鳴き始めた虫や小動物のざわめきが聞こえなかったことに。

 今、アヤメはその始まったばかりの人生で初めてこのジパングに棲む怪異と対峙していた。

 膨れ上がった闇は耳を聾する程の咆哮とともに吹き飛び、同時にアヤメの勇気を根こそぎ森の奥まで持っていった。

 そこに現れたのは、身の丈三メートルもあろうほどの一対の鬼であった。

 一匹はちゃんちゃんこの様な袖のない羽織から赤黒い肌の膨れ上がった肉体をさらし、その身をにあわせたかのような斧を持ち、血の色をした目でアヤメを見下している。またもう一匹はそれよりは細身で小柄――といってもアヤメより頭二つ分ほど大きかったが――、青みがかった枯れ木の様な身体に赤鬼と同じような襤褸をまとい、箱の様なものを背負い、また手には六角の鋼鉄でできた杖と水がめをにぎっていたのだった。

 アヤメの歯はカチカチと鳴り続け、全身からは一気に冷たい汗が噴き出そうとしていた。しかし、そんな状況におかれてなお腰を抜かさずにいられた彼女を今は賞賛すべきだ。少なくとも走って逃げる可能性をその身に残しているのだから。

 だが、それも再びあげられた赤鬼の咆哮がアヤメの身体の芯を打ち砕いた。

 へなへなとその場に座り込み、震えは全身に一瞬に、しかし永遠とも続くかのような感覚で指先まで侵食していった。

(助けて――)

 声にならず口をぱくぱくさせただけであったが、思った言葉に自分自身で疑念を――そんな暇や余裕などあろうはずもないことを体感しているにもかかわらず――もったのだ。

(誰に助けを求めるの? あたしには――あたしには――)

「誰もいないじゃないかっっ!」

 瞬間、アヤメは地面を転がる。間髪入れずにそこに赤鬼の斧が振り下ろされ、自然石でできていた石畳を打ち砕いた。

 石の破片と土を全身に浴び、刹那の一撃のみで全身に細かい傷をつけられてしまう。
 だが、それはむしろ弾けたアヤメの心にどうにか身体をついて来させるためには都合の良い痛みであった。

 振り下ろされた赤鬼の斧はそのままに、ゆっくりと血の色をした瞳のみアヤメを追ってくる。
 幸か不幸か、青鬼は未だその墓場の仏塔のごとき身体をぴくりともさせず、同じく闇に黄色く光る目を向けるのみであった。

「いったい、なんなのよっ!」

 一瞬にしてボロ雑巾にされたその身をゆっくりと起こし、転がった時に痛めた左肩をおさえながら起って鬼達を睨みつけた。

 そのどうにかかき集めた勇気をひと欠けでもこぼすものかと云わんばかりに、しっかりと地に足をつけ、未発達な胸をこれでもかとそり上げ、鬼らを指差した。

「あたしが――このままやらると思うなぁぁぁ!」

 それを見やり、赤鬼が残忍な笑みで口元と目を歪ませると、振り下ろした斧をそのまま横に薙ぎ、再び石片の飛礫をアヤメに向けて放った!

 それを見るより早く、アヤメは自然とステップを取り、円を描くようにそれらをかわした。それに一番驚いていたのは飛礫をはなった鬼ではなく、アヤメ自身であった。

(うそ)

 まぐれか何かかと思い、その幸運を喜ぶが、須臾程の時間は与えてくれず、赤鬼は再びその斧を大きく振り上げた。

(来る!)

 今度はアヤメ自身、しっかりとその斧の軌道が見えていた。

 そう、じょじょに自分を取り戻してきたアヤメは、いつの間にか鬼の動きが見えていることに気付き始めた。そして、自分の動きの根底にあるそれについても――

 アヤメは、ひらひらと空で遊ぶ蝶の様に、次々と振り下ろされる斧と舞を踊っていた。
 それだけではない、時には燕が急旋回するが如く斧をくぐり、次々と境内に大穴をいくつも作らせていったのだった。

(凄い! すごいすごいすごいすごいっ!)

 こんなところで舞を習っていたことに感謝するとは思わなかったとばかりに、アヤメは次々と赤鬼の繰り出す斧の一撃をかわし続けていた。

 しかし、程なくハイになっている自分に気付き、またある一つの事実に気付いてしまい、急に身体が重くなってきた。

 そう、アヤメは気付いてしまった。

 決定打がないことに――

 いつまでもかわし続けていられそうだった感覚も、心の動きとともに疲労へと変わり、あしが急に絡まり始め、ついには赤鬼が放った横薙ぎの一閃をかわしきれずに浅く頬をかすめ、一瞬の間をおいて鮮血が噴き出した。

「ヒッ――」

 この一撃が再びアヤメを心身ともに闇の泥沼に捉えようとしていた。

 それに気付いた赤鬼は、再び手を止めると先程以上に凄惨な笑みを作り、ゆっくりとアヤメに近づいていった。

 かなりの体重があるはずなのにズシリともしない軽い足音を立て、のそりのそりとアヤメに近づく。

 それと対峙しながらも、先程までの勇気と力はなく、一歩、また一歩と後退せざるを得なかった。

 そして、とうとう売店になっている小屋の壁にどうと背をつけてしまった。一瞬にして襲い掛かってくる全てを諦めようとする誘惑。

 このまま壁にもたれて、鬼の一撃を喰らってしまえば楽になれるのではないか――

 そんな破滅的な誘惑がもたれた背中から一気に、そしてべったりと全身を覆っていった。

 そして、赤鬼の振りかぶった一撃を売店ごとアヤメの正中に振り下ろした。

 轟というとどろきとともに売店は真っ二つに破壊され、自然と足が動いたアヤメもろとも吹っ飛ばしたのだった。

 地面にしたたかに叩きつけられ、今度は飛礫ではなく売店の商品をその全身に浴びたのだった。

 降ってくる絵馬や御守り。舞散る御札。

 今、この時となってはご利益も神の力も働かない事実をその身をもって確かめているアヤメであった。

(あたし――死ぬのかな?)

 もうすでに立ち上がる力すら失いつつあった。

 心が――

 アヤメの心が折れそうになっていた。

 しかし、突っ伏し、片目の視界しか保たれていない世界に一筋の希望の矢が射掛けられたのだった。

 ――神子・巫女・ムーン! この破魔の弓で月に代わっておしおきよっ!!――

 この非常時であるにも関わらず、アヤメは吹いた。

 ――勾玉を天に掲げて呪文を唱え、ミコ巫女ムーンに変身だッ!! この月光の力を集めた破魔矢の一閃は如何なる妖怪も吹き飛ばす、ミコ巫女ムーン最強の必殺技なのだっっ!――

 頭の何処からか軽快なアニメ・ソングが流れてきた。
 まさかこの生きるか死ぬるかの瀬戸際に、幼稚園児であった頃に憧れたスーパーヒロインを思い出すとは思わなかった。

(アニメが元ネタってのが少し癪だけど――)

 アヤメはゆらり立ち上がり――そして、吼えた!

「天に代わってお仕置きよっっ!」

 さりげなくセリフを変え、アヤメは右手に握られていた売店の破魔矢を投げた!

 ぺち。

(はは、そりゃぁ、そうよね……)

 軽い音と共に、売店の破魔矢は赤鬼の厚い胸板に弾かれる。と同時にアヤメは今度こそどうと地面に突っ伏し、完全に意識が飛んでしまったのだった。


 そして、赤鬼が最後の一撃を振り下ろした……

「そこまでっ!」

 神社全体を通り越し、山全体に響かん程の声がすると同時に、赤鬼はその最後の一撃を止め、青鬼と共にその巨体を跪かせた。
 彼ら鬼達が跪いたその先に悠然と立っていたのは、アヤメの祖父御名神辰衛門であった。

「鬼面衆の方、天狗舞継承の試儀、協力感謝いたします」

 云うと、辰衛門と鬼の間の空気がゆらりと歪み、鬼の面をつけた着流し姿の男が現れた。そしてその手に持った錫杖をシャンと地面に向けて鳴らすと共に、二匹の鬼達は人型に切られた和紙と成り、その巨体は再び闇色の粒となり霧散した。

「どうやら前鬼のみでも良かったようだな」

 面の所為で声がくぐもり、この者が何者であるかは一切読み取ることができなかった。ただ、ある程度若い、青年であろうことのみが知れるだけであった。

「何をおっしゃる。後鬼殿の癒しの水瓶をいつなりと使えるようにしていただき、感謝の言葉もございません」

 はるかに年長である辰衛門がうやうやしく話すのに対し、鬼面の男は傲然と言い放つ。

「大丈夫なのか? 次代の御名神であろう――ふむ。いや、我が気にかけても仕方ないことだな。
 全ては鳥居の上におわす楯の使い達が決めること――そうであったな」

「は、こやつの――アヤメに憂いを含んだまなざしを向け――手元に妣の勾玉が来たときから、覚悟は出来ております」

「前の御名神は確かこの娘の母であったな。本家の娘が楯の指令でネオトキオに行っている間の――」

「仮の御名神で御座いました――
 本当に、不憫な子です。父だけではなく、母親までも奴等との戦いで亡くすとは――」

「仕方あるまい。これも神代御三家に生まれた者の運命だ」

「わかっております――わかっておりますが――本来なら――」

 複雑な想いが辰衛門の心を駆け巡る。これから廻り始める運命の歯車への悲しみと、アヤメに課せられた重荷を代わってやれない悔しさとが辰衛門に自然と拳をにぎらせていた。

「云ってもせんないことぞ、辰衛門」

 不意に天から声が降ってきた。それを二人は同時に見やる。いつの間にか高く登った月を背負い、三つの影のうちひときわ大きなそれが、鳥居の天辺より妖しい翠玉の瞳で見下ろしながら語り始めた。

「わらわは、この娘を次なる主と決めた。今は未だ力を持たぬただの小娘でしかない。じゃが、梢(コズエ)が愛した娘じゃ。今はわらわ達が護り、育ててやろう――
 立派な次代の御名神に――天狗の将にしてやろうぞ!」

 云うと、その影は他の小さな影を伴って、鳥居より軽やかに地面に降り立った。

 それは先の猫たち――アヤメが拾い、また追い掛け回したあの猫たちであった。

 彼女らはアヤメの周りをぐるぐるとまわりながら近づき、先程から語っているひときわ大きな猫――それは他の二匹にくらべてのことだが――がアヤメの流血した頬を舐めやった。次々と他の二匹もひと舐めずつアヤメの血をすする。それでも意識を戻さないアヤメに向かい、フンと鼻を鳴らすと、大きな猫がその手をアヤメの額に乗せ、つぶやいた。

「今は兎に角眠るがいい。明日からは、もう昨日までには戻れぬ世界で生きることになるのだから――」


 こうして、アヤメの初めての怪異との対峙は終わった。
 それは、昨日までの日常と別れを告げる出来事であり、新たな日常の始まりを告げる出来事でもあった。

 この先、アヤメの人生は大きく変わっていく。
 時が移るように、自然なことではあったが、彼女の周りにいる者達とは一線を画すものとなることだろう。

 その時、梨花は――真木は――、その他多くの彼女を知る者は、昨日までと同じ目で彼女を見、そして受け入れてくれるのであろうか。

 しかし、それは高天原の住人である我々の関知するところではないのだろう。

 全ては、アヤメのこれからの生き様が決めることだ。

 今はただ見守ろう。

 彼女がこれから得る力でどんな人生を歩むのかを――


(第一章 天狗舞 了)

(第二章 獅子舞 につづく)



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2009年06月03日

第一章 天狗舞『第三話 妣と禍つ魂』

「それでは次のニュースです。ネオトキオ大統領官邸ホワイトタワーにて行われるデックスマン大統領との会談に備え、八島公威陛下がセントラルシティに入られ――」

「あ、コラ、勝手に消すんじゃない!」

 祖父の宮司、辰衛門に咎められながらも、関心なさげにテレビのつまみをオフにしたまま、漆黒の髪を流す頭をかきながら、アヤメはキッパリと言い放った。

「だって、お祖父ちゃん、集中してくれないじゃない」

 そう、珍しくバイトが休みであるにもかかわらず、御名神神社の長い石段を登りきり、祖父のもとにやってきたアヤメの目的はただ一つ。今朝方彼女の胸元に置かれていた――らしい――緋色の勾玉が何物であるかを調べてもらうためであった。
 だが、先程からテレビをつけてみたり、高校生活の話を聞かせろなどと、まっすぐ緋色の勾玉をみてくれないのであった。

「まさか――わざわざ夜中にあたしの家まで来て上がりこんだ挙句、寝室に侵入してきたんじゃないでしょうね!」

「ほほぉ~まだ青臭いぺったんこな胸には興味ないのぉ~
 ネオトキオから来た――梨花ちゃんじゃったかの? あのお嬢ちゃんくらいの大きい乳になったら添い寝してやってもいいがのぉ~」

 この助平ジジイ――と一番気にしている事をいいのけた祖父にギラリとした目で睨みつけるが、それを見てすら全く動じず、呵呵とばかり笑っていた。
 アヤメではまだまだ役者が足りないということだ。
 それに幾分翳りを含ませた表情を見取ると、辰衛門は居住まいを正し、ここ数年見せたことのない真面目な面持ちでアヤメに向き直った。

「アヤメよ。お前は今幸せか?」

 一瞬、何を質問されたのか理解できずにいた。おかげで果てしなく長く感じる一分間の後に、一言だけどうにかつぶやけた。

「たぶん、ね」

 アヤメは、この御名神神社の分家である水上家の娘。両親はともに一介の公僕で、神社とは全く関係のない仕事に携わっていた。ただ、昔から――御名神のために――という言葉を繰り返し伝えられ、また習い事の一つでもと言う理由で神社に奉納する舞を年上の従姉とともに習わされたことから、この御名神神社と縁が深いのだと言う事を自然と学んでいた。だが、ある日を境に様々な事が起き始めていた。父親が出張先で事故にあい他界。仲の良かった従姉は高校卒業と同時にネオトキオに留学。気丈に振舞う母は昼夜関係なく呼び出される部署に変わりゆっくりと話せる時間が取れなくなる。あまり良いとはいえない人生になりつつあったが、この祖父がバイトと称して神社に毎日来させてはあれやこれやと世話を焼いてくれるようになった。
 セクハラさえ除けば、確かにアヤメはこの祖父によって救われていたのだ。

「お祖父ちゃんのおかげでね」

 とまでは気恥ずかしくて云えなかったが、辰衛門は二三度頷くと、アヤメが今日来た目的について返事をしてくれたのだった。

「それは庇の――妣の勾玉というてな。いわゆる御守りというやつじゃ。わしが――一瞬いいよどんだが――お前の母さんにくれたものじゃよ。
 大切にするといい――」

 この祖父にしては珍しく、遠い目をしていた。そのため、アヤメは静かに頷くことしかできなかったのだった。

 その日の午後、例の如く梨花・エリスンと待ち合わせ、環状線で神代学園から二駅ほど先にある郊外大型ショッピングモールであるジョイフルにいた。
 そしてそのフードコートにあるカフェ、グラセル・コーヒー。ネオトキオから進出してきた大手のカフェで、帝都まで轟く――というかひんぴんにテレビコマーシャルに出てくるマスターハンター、ジョニー・グラッセンの名を勝手に店名に使ってその名を知らしめ、さらにその噂を聞きつけたジョニーが豪快に許したということで一躍有名になった――名店の帝都支店の一つである。
 その注文カウンターに並びながら、アヤメと梨花は先の御守り――庇の勾玉の話をしていた。

「――ヒ――って、護るって意味でしょう?」

 梨花のジパングマニアぶりが再び炸裂し、なんでそんな細かいことを知っているのと質問するより、外交官の娘はそこまで教育をうけてるのかしらと自己完結させ黙ってうなずいた。

「庇というよりは庇護ね。かばいまもること。でもね――御名神に伝わる庇はもっと深い意味があるのよ」

 一瞬迷って、アヤメは御名神の庇について話し始めた。

「御名神の庇は妣。
 妣ってね、女性にしかない力の事をいうの。ハハノチカラともいって……」

「ダージリンティーとチェリーパイ一つずつ。ねぇ、アヤメはなににする?」

 いつも神社で話しをするとあの助平ジジイに邪魔されるからせっかく――と思わないでもなかったが、さっぱりとした性格の持ち主でもあるアヤメである。はいはい、とだけいうとキャラメルフラペチーノを注文し、いつもの如く梨花に身体が冷えるとか、脂肪分が多いのといわれつつも、断固としてフラペチーノ系から変えずに注文してのけた。しっかり貸し出しのブランケットは忘れずに持っていたが。

「ん~美味しいっ! やっぱりこの時期はチェリーパイよねぇ~」

 無邪気に舌鼓を打つ梨花はうっそりと言ったが、それとは対照的にストローをくわえたアヤメはつまみあげた勾玉を明かりに照らしながら難しい顔になっていた。

「アヤメっ! 眉間のシワが消えなくなるわよ~」

 うん、とこたえるが、意識はその勾玉から離れない様子をみやり、梨花は先程遮ってしまった話題を再び出してみる事にした。

「で――御名神のヒって何なの?」

「おう、俺も聞きたいなぁ――」

「――!――」

 三度の闖入者により話は遮られたが、驚きとその声の主が誰かわかったため、自分の興味はことごとく彼に持っていかれてしまった。

「先輩」

「オイオイ、赤貧勤労少女がこんな店で油売ってていいのか――って、毎日ここに来てる俺がいうのも何だけどな」

 すらりとした長身。その体躯に乗った整った顔立ち。デザイナーズの眼鏡をかけているが知的さをアピールするものではなく、自然とおさまり違和感は見せない。非対称にカットされた黒髪は更に彼を特徴的にさせていた。そう、いわゆる目立つ風貌というものであった。

「ヒドイですよ、真木先輩。別にあたしは貧乏じゃありません――祖父の手伝いをしてるだけですっ!」

 笑ってスマンといい、自然とアヤメたちのテーブルに椅子を寄せてきたのは、真木伸司(マキシンジ)。アヤメらの一つ上の学年の先輩である。その目立つ風貌と――理由があって――彼女らよりも三歳ほど年上であることから、プリンスと呼ばれていた。しかし、そう呼ばれることに傲慢な態度を取るでもなく、誰に対しても対等に、そして屈託なく話をすることから、真の意味で神代学園の王子であった。

「それにしてもアレだよな――アヤメの巫女姿って、俺一度も見せてもらったことがないんだけど。やっぱり、神社に行かないと見せてくれないよな――」

「当たり前じゃないですか。あれは仕事着なんですから。というか――梨花の前でそんな話していいんですか? だって梨花とは――」

「え? 別に私はかまわないけど――」

 あえてそう言わせるかの会話の展開に少々うんざり気味な声になったアヤメであったが、当の梨花はあっけらかんと何のことか分からないふうに――実際わかってはいなかったのだが――言い放っていた。

「そっか――やっぱりアヤメにもそう思われてるのか――がっかりだな。でも不思議だよな。いつも二人と会ってるのにアヤメとの噂にはならないよな」

「そりゃぁ――なんといってもプリンスにはクイーン、でしょう?」

 そう、もう一人の綽名を持つ学園生がここにもいた。梨花は学園唯一の留学生であり、学年は違えど神代学園のプリンスと並び称される美貌の持ち主である。それに加えて控えめながらも強い意志と周囲に人を寄せ付けない雰囲気からクイーンと、密かに、しかしまことしやかに呼ばれていたのだった。プリンスといつも話しているから付き合っているのでは? という尾ひれがついていたが。もっとも梨花自身はそのことを全く意識していなかった。それこそ、クイーンって誰? とすら今たずねてきたほどだ。

「兎に角、あたしの出る幕なんてかけらもあるはずないじゃないですか」

「そういうものか――まぁいいか。変な噂ばかりが勝手に一人歩きするってところで、なんだかアヤメとクイーンには共感が持てる――って感じかな」

 言って人差し指を立て、ひらひらさせていた伸司であったが、ぴたと止めるとアヤメに向かってテーブルに身を乗り出した。

「で? その妣ってやつを教えてくれよ」

 言われてふぅと一息つくと、静かにアヤメは話し始めた。

 これは祖父から聞いた話なんだけど――と前置き、御名神の妣について話し始めた。

 本来、妣の力とはハハノチカラと呼ばれ、ジパングに伝わる神話にひんぱんに出てきていた。それはいつも形を変えており、櫛であったり今回の勾玉であったりと、女性が身につける装身具のそれであった。そしてそういった装身具を男性が身につけることで通常では得られないような力を得ていたというのだ。それは、そもそもが女性には男性を守り庇護する力をもっているとされ、その妣の力は装身具に宿り、所持者を加護したというのだ。過去の戦時中、死地におもむく兵士は恋人の陰毛を弾除けの御守りとして持っていたとの話もあった――もっとも最後の件は先輩を前にして言葉にすることはなかったが。

「へぇ――じゃぁ、俺がもし戦に出るような事があれば、何かくれよ――って駄目か?」

「だ~か~らっ! 梨花からもらってくださいって」

「え~でも、私、ほらジパングの血は半分だけだし。むしろ私もアヤメから何かもらいたいな~」

 そうして、じょじょに話はいつもの他愛もないものとなり、あっという間に太陽が山並みに差し掛かり、空を茜色に染め始めていた。

 環状線に乗った三人はそれぞれ別々の駅で降りていく。アヤメひとりが最後まで乗っていたが、不意に思い立ち、御名神神社に続く天狗山口前駅で下車していた。

「なんで――」

 なんで、母は勾玉をあたしの胸元に置いただけで起こしてくれなかったのだろう、と朝方の事に思いを馳せていた。ここ一週間程まともに面と向かって話をしていないことが手伝っているのも事実だろう。二人暮らしであるにもかかわらず、母の仕事が具体的にどんなものかもわからない。ただ毎日忙しく、アヤメが寝ている間に帰ってきてまた出て行っている。そういったどこかしら欠落した環境が今のアヤメの――寂しいという――感情を形作っていた。だが、庇の勾玉と祖父から聞いて、いくぶんそれは満たされたところがあったのもまた事実であった。

 百八段の長い階段を上りきった頃、夕焼けは夕闇へと移り、朱色の鳥居にすすの様な闇がまとわりつき始めていた。

「…………」

 鳥居をくぐったその時、アヤメは射抜かれたような感覚に陥る。

 何者かにみられている――背筋から冷たい汗が一筋垂れ、全身を一瞬の悪寒が走った。

 瞬間、弾かれたように鳥居の天辺を見上げると、みっつの影がアヤメを見下ろしている事に気付いた。

 しかし、それが先日の猫たちであると認識するより早く、境内に大きく、暗くうごめくものが現れ、次第にその闇が二体の巨大な――身の丈三メートル程の人の姿をとりはじめ、咆哮とともに闇を吹き払い、実体をあらわとした。

 現れたのは一対のつがいの――禍々しい魂を持つ者である妖怪――鬼の姿であった。

 猫たちの見下ろす境内の中、アヤメは初めて世の中に存在する怪異と対峙したのだった。

(つづく)

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2009年06月01日

第一章 天狗舞『第二話 勾玉をくわえた猫』

 帝都から電車で一時間ほど離れたのどかな田園風景が広がる土地、神代シティ。ジパングを二分する大江戸と帝都――その近代化を推進する帝都側ではあるものの、もともとが他国と一線を画した文化を持っていた国である。未開発、開発途上の土地は未だ多い。その一つがこの神代シティであった。
 そしてその中央に位置する央山。大山や王山等と呼ばれることもあるが、一番世間で有名な呼び名は天狗山である。由来は至極簡単で、この山にある御名神神社で天狗舞という舞が伝承されているからであった。

「で――アンタがその伝承者なわけ?」

 巫女のお仕着せを着て上機嫌な梨花に対して、アヤメは両腕についた小さな沢山の爪痕に絆創膏を貼りながら憮然とこたえる。

「違うわ。それはあたしのお姉――従姉が伝承者なの。
 あたしは分家の娘。伝承は本家の長子のみにされるってわけ。
 Do you understand?」

「はい、はい。
 まったく、ジパングはそういった伝統ごとがハチメンドウクサイ……だっけ?」

「七面倒臭い、ね」

 何処でジパング風の表現を覚えてくるのかとアヤメはかぶりを振ったが、何処までいってもポジティブな梨花を見てようやく機嫌をなおしてきつつあった。

「まぁ、とにかく、あたしはスペアよスペア。
 天狗舞、嫌いじゃないんだけど、人前で踊るってのがねぇ~」

「あはははは――」

 本当に、救われる……そんな事を思いながら、アヤメは屈託なく笑う梨花を穏やかに眺めていたのだった。

 しかし、そんな穏やかな時間もアヤメの祖父の闖入であわただしいものへと移っていったのだった。

「なんじゃ~もう着替えは終わりか~」

 鼻の下を伸ばしながら神官服の老人が大げさに襖を開け放った。

「ネオトキオの女学生が来とるというから急いで来たというのに、サービス悪いのぉ」

 この老人こそアヤメの祖父、御名神辰衛門(ミナカミタツエモン)。この御名神神社の宮司である。この助平丸出しの後退した頭部を持つ祖父の血を継いでいると思うとうんざりしてしまうアヤメであった。しかし、今は先の仔猫の方がアヤメにとってもっとも気になることであったため、祖父の発言は完全に無視されていた。

「猫は?」

「おう、大丈夫大丈夫。
 さっきアヤメを十分引っかいたからのう。元気なもんじゃよ。
 薄めた山羊の乳をがぶがぶ飲んで寝てしまったわい」

 ほっと胸をなでおろすアヤメと梨花であった。

「でも、梨花がいてくれてホント良かったよ。じゃなきゃ、牛乳をそのままあげてたわ」

「ふふ~ん、感謝しなさい!  猫好きは伊藤じゃないのよ」

 伊達ね、とツッコミは忘れず二人は立ち上がる。そして辰衛門に連れられて行った先はなんと売店のカウンターの中であった。

「あれ? どういうこと? 猫は?」

「うん、ジジイに騙されたね」

「何をぶつぶついっておるんじゃ。神代学園の美人をみんなお待ちかねじゃぞ。
 さぁ、稼いだ稼いだ!」

 パンパンと拍手を叩かれ、売店の開店となった。

「おぉ! いいね~」
「梨花さ~ん! 似合ってるよ~」
「よっ! 勤労赤貧少女! 今日も絵馬を買うから、明日デートしてくれ~」

 ある意味、ここ数年のお賽銭はアヤメに向けて投げられたといっても過言ではない神社の盛り上がり方であった。どこから聞きつけたのか、神代学園の制服以外にも他校の制服の男子が混ざっているほどに、黒山で汗臭い人だかりとなっていた。

「ったく、こぉら! 男子ども!
 あんまり騒ぐと破魔矢を向けるよ!
 神様に迷惑だから静かに並んでっっ!」

「う~わぁ~
 アヤメ、人気あるねぇ~」

 かくて、今日のバイト、という名の戦場が幕を開けたのだった。
 哀れな仲間の犠牲とともに……


「つ、疲れた~
 なんだか、知らない人達がたくさん私の写真を撮っていってたけど、大丈夫かしら」

 少し不安を口にした梨花であったが、それに疲労困憊のアヤメはテーブルに突っ伏しながらこたえる。

「大丈夫、大丈夫。
 あいつ等、基本的に人畜無害。ただの野次馬根性丸出しのガキよ、ガキ」

 まぁね、と梨花も同意し、薄暗くなりつつある窓の外を見やった。
 すると、カシャカシャと窓ガラスの外から小さな音が鳴り続けているのに気付き、梨花は身をこわばらせた。

「何か、いるよ。アヤメ――」

 呆けていたアヤメもさっと身構え、眉間にしわ寄せつり気味の目をさらに吊り上げながら梨花にしぃと人差し指を口に当て、そろそろと窓に近寄ると一気に窓を開け放った!

「だれっ!」

 返ってきたのは、泣き声が一つだけであった。

「んなぁーう」

「また猫?」

 そう、そこにいたのはこげ茶と茶、グレーの三色タビーの長毛の猫と、全身闇色で金目だけが夕闇に光る黒猫の二匹であった。
 そして不思議なことに、その二匹は開いた窓から素早く室内に入り込み、襖を器用に開けると一直線に先の仔猫のもとに走っていったのだった。
 しかし、そうとは知らない二人は慌てて侵入された失敗を取り返すために二匹を追ったのだった。

「ま、待ちなさいっ!」

「ちょっと、アヤメ待って。てゆうか、無理に追いかけるともっと逃げるわ~って聞いてない~」

 かくて、突如勃発した追いかけっこはいつの間にか二対三となり、神社の中を右へ左への大事となってしまっていた。

「追い詰めたわよ~」

 御神体が納められた本殿の扉が開いており、その御神体の前にアヤメたちが来たとき三匹の猫はいなかった。
 いや、正確には、アヤメ達が見下ろしている床には一切見つけることが出来なかっただけであった。そう、彼らは、数段高い位置に座する御神体を囲むようにともに鎮座していたのだった。

「ば、罰当たりなことしないでっ!」

 いうと、一目散に本殿から逃げ出し、今度は鳥居を越えて森の中に消えていったのだった。

「いったい、なんなのよ~」

 安堵のため息を漏らし、二人は長いバイトの時間と別れを告げ、岐路に着くのであった。


 その夜……

 アヤメは不思議な夢を見た。

 アヤメは何者かに見下ろされていた。

 眩しい、網膜が焼かれるのではないかと思うほどに光が痛い。
 それとは対照的に黒い影が彼女を覗き込んでくる。交互に、三人がかわるがわるアヤメの顔を見るのだった。
 彼らは何事かつぶやいているが、アヤメにはその言葉が人の声、言葉として認識できないでいた。
 そして、ゆっくり影の一人が手を伸ばし、頬に当ててくる。

「冷たい」

 声にならない声をあげ、抵抗しようとしたが、他の二人がそれをさせてくれない。
 黒くて冷たく、しかしやわらかいその手は、ゆっくりと彼女の口を開けさせていった。
 そして、この白と黒しかない世界に唯一の色となる緋色の玉の様なものを口に放り込まれた。

「いやぁっっ!」

 抗うことも出来ず、体内で脈打つ何かがアヤメの身体を別な何かに変えていくのを感じる事だけを許され、感覚がこの白と黒の世界全体を覆いつくし、自分の身体と三体の何かを見下ろしながら昇っていく。
 そして白い境界に触れたと思った瞬間、アヤメは目を覚ました。

 朝日の眩しい明日が今日となり、寝ていたはずなのに疲れきった身体を不快に感じていた。それをゆっくりと起こし、改めてカーテンの隙間から覗く朝日をみやったとき、胸元から緋色の勾玉が輝きながら布団からすべり落ちるのを見つけた。

「なに? これ?」

 夢の中身は一切忘れ去っていた――


(つづく)

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