【八十神の舞】神々の舞う地、神代市を舞台につむがれる物語。

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針生の御前堂

文治年中(一一八五年~一一九〇年)の昔、源義経が、兄頼朝に都を追われ奥州の藤原秀衡を頼ってみちのくに逃げました。
恋人の静御前は下僕の小六と乳母のさいはらとともに義経のあとを追ってみちのくを目指して旅をし、安積の里にたどりつきました。
ところがここに来て、小六は病にたおれ死んでしまいました。
たよりにしていた小六を失い静は悲しみましたが、乳母さいはらに励まされ、気を取り直し、大槻の花輪長者の館にたどりつきました。
里人に「義経様はどこにおいででしょうか」とたずねると、義経公は平泉に旅立ったと聞かされました。
「都から安積の里へ、やっとたどりついたのに、たずねる義経は、これよりさらに奥の平泉とは……」
もはやこれ以上は行方を追うことはできないと、嘆き悲しんだ静御前は文治五年(一一八九年)三月二八日、二一歳の若さでその乳母とともに、そばの池に身を投じて死んでしまいました。
花輪長者は静をあわれに思い、手厚く葬り墓を建てました。
時は流れ天文一七年(一五四八年)大槻城主の伊藤三郎左衛門高行は毎夜あやしげな光が見えるといわれていました。
城主はその場所を掘ってみたところ、静の石碑が埋もれていました。
城主はその場所にお堂を建て、静御前としてあがめました。
小六の死んだ場所は三穂田町山口で、今でも小六峠、小六塚という地名が残ってます。
また、静が化粧したといわれる化粧坂。身を投げた池は美女池と呼ばれ今も残っています。
大槻町針生にあるお堂は天明年間(一七八一年~一七八八年)に改築されたもので釘は一本も使われていないということです。



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